昔、学生の頃ジャーナリズムは中立な立場であり、公平な見識を示すと思っていました。
それ故に、マスコミに憧れたりもしました。
生憎、あまり成績がよくなかったので、ただの憧れで終わってしまいましたが・・・
しかし、現実に社会に出てマスコミに接してみると、その実態はかなり違ったものでした。
実際には、いかにマスコミを利用するのかという視点が大きいことでした。
具体的にいえば、新しい商品を提供するなどのニュースについて、
取材する側はあくまでも、プレスリリースとそれを補足する担当者の解説に基づいて記事を作ります。
記者は新しい情報が過去に類似した情報ないかどうかを判断するだけで、そうした過去の事例がなければ基本的にニュースとして取り上げる傾向が強いですね。
自社の新しい商品・サービスを効果的に売るためには、そのあたりのポイントをいかにアピールできるかが重要になります。
これは、特に日経新聞に顕著に現れる傾向がありましたね。
朝日新聞などは、記者が理解できないものは書かない(書けない)といった雰囲気がありましたが、日経は技術的に新しいということがはっきりすれば、ほとんど記事にしていたのではないでしょうか。
「記事にしているつもりが、記事を作らされている。」というのが実態だったような気がしますね。
まあ、記者側から反論させれば、「魚心あれば水心」的な、多少のことあは目を瞑ってもニュース性の高い情報をもらうための対価という判断ということかもしれません。
このとは、立場を変えて読者の側に回ったとき、マスコミから発信される情報は情報の出し手の意図が内在されていることが前提であるという意識を持つ必要があるということになります。
企業に関わる情報・政治に関わる情報に関しては、マスコミを利用して大衆をリードし世論を作りたいという意図が一定の範囲で混じることになります。
典型的なケースとしては、株価の情報ですね。
ある株式が値上がりして、新聞・雑誌の記事になるとそこをピークに下がることがよくあります。
業界では、材料出尽くしで売られたなんて後から解説がついたりあしますが、基本的には一定の先行投資を回収するためにポジティブな情報を流し、記者がそれに乗っかっちゃった感じでしょう。
こうしたケースからもわかるように取材する側に悪意がなくても、情報発信側の意図に悪意がある場合、マスコミ側がそれをどこまで排除できるかは記者の腕次第ということになるのでしょう。
ここまで極端な例は少ないでしょうが、取材する側は中立でありたいと考えても、取材にこぎつめるまでの努力あるいは将来的な情報提供のネットワーク作りから、取材側の意図しないところでの偏りは発生する可能性が高いわけです。
問題ご起源は、取材する側の持っている情報量に対して、取材される側の情報量が大きい結果からくる結果だと思われます。
取材内容が複雑であったり、専門性が高いケースではこうした例が多く見られます。
にもかかわらず、受け手が求める情報はそうした情報になるわけで、必然的な問題といえます。
こうした情報の偏りに対して受け手として対応すべきは、
1 情報を時系列(タイムライン)的に把握する。
2 取材者のクオリティをチェックするようにする。
3 情報が広まることでの利害者を念頭のおく。
4 記事の見出しのみを追い、内容については比較できる情報を待つ。
そういう意味で、
1 歴史が述べられている情報
2 主張者がどういう価値判断の上で論じているかが明確な情報
3 いくつかの情報が比較されている情報
といいたものは比較的信頼できる情報といえるかもしれません。
今後、アメリカの現状を見てもわかるように、クラウド時代の中で情報量は急激に増加することは明らかであり、
情報がその分だけ玉石混交になることは避けられないのでしょう。
そうした中で、自分の考えが一定の方向に誘導される可能性が高いことは認識しつつ、多角的な視点を持つ努力が必要なのかもしれません。
自分が理解しないところで誘導されている可能性をチェックするためには、
1 兎に角、できるだけ多くの情報にあたる・・・・そういく意味でリーディングスピードの遅い人は、偏りがちになるという自覚を持つべきでしょう。
2 海外のメディアに対して門戸を開放すること・・・・ウオールストリートジャーナルの日本版なんかもリリースされたみたいだしいいこも、でも海外メディアも利益誘導から開放されているわけではないのでそこは注意が必要ですね
3 情報を時系列に把握するようにする。昔的にいえばスクラップブックなんでしょうが、現在的にいえば、①ブックマークの活用と②RSSリーダーを利用した情報の蓄積でしょうね。
4 その上で、今の自分がどのように情報を咀嚼できているのかを日記かブルグかに記録することですね。ブログの場合、タグをつけることで自分の考えていたことを時系列に遡及できますね。
昔、ドイツのマックス・ウエーバーという学者さんが価値から自由(ヴェルトフライハイト)といって人は常に一庭の価値観に支配されていることを枠れてはならないといってます。
西洋的な価値観から見れば、東洋的な価値観は理解できないものもあるでしょうし、キリスト教的な視点から見れば、イスラムを理解しるのは難しい。
こうした、理解を妨げるものが、自分の知らないところで内面化されている価値なわけです。
アメリカを否定する人、中国を否定する人、イスラムを否定する人、自民党を否定する人、民主党を否定する人、いろいろな価値の衝突が起きています。
こうした価値の衝突の中で、生きてゆくためには情報をどのように受け取るかを考えてゆかなければならないのかもしれません。











































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素晴らしい!何が真実か、見たい物だけ見るのではなく、正しい事を見極める力が欲しい。 RT @jobhoppers: 情報について考えてみました。。。。http://bit.ly/54Kxkg